門をたたく(聖書の話15)

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は、見つけ、門をたたく者には開かれる。」

(マタイによる福音書 7章7節~8節)

僕が年に1回、全力で行う「ハラダイス・ライブ」は、2014年までは円山公園音楽堂が会場だった。
ものすごく沢山の方に応援してもらって、1000人くらいの人が集まってくれるライブだったのだが、会場が野外なので、毎年、直前の一週間は祈る想いで天気のことを考えた。「どうか晴れて欲しい!」と、いつの間にか祈っているという感じだった。
2011年のハラダイス、本番一週間前、週間天気予報は、かなり高い確率で「雨」となった。僕の心は、不安で一杯だった。「神様、なぜ?」と「たのむ!頼みます!!」の祈りが、繰り返される一週間だった。
何が、僕の心の真ん中に重くのしかかっているのか。何が僕の心を曇らせているのか。心配で落ち着かない自分に気がついて、本番前、よくよく考えてみた。僕の心に聞きに行くと、不安の源は、「沢山来てもらえると大口をたたいたのに、台風や雨で誰も来なかったら、カッコ悪い」といったような、くだらない気持ちだった。「ああ、そうか、もし、雨でも来てくれる人がいたら、その人に『来てよかった』って言ってもらうことが全てなんだな。大変なのはお客さんなんだな。」ステージには屋根があって、雨の犠牲になるのはお客さんやスタッフなのだ。どこかで、自分が雨の犠牲になるような気分になっていることに気がついて、「これは大間違いだ!」と思った。「そうだ、感謝して歌おう、どんな天気でも最高のステージをプレゼントすることしか自分には出来ないんだ。」そう思えた瞬間に、心の曇りは不思議なくらい消えて、晴れ晴れとした気持ちになったのを思い出す。

結果は、大雨。演奏中は少し弱まったけれど、天気としては雨だった。お客さんの数も予想の半分くらい。それでも、600人。カッパを来て、最後までみんな会場にいて下さった。雨で大変だったけれど、とても楽しんで帰って下さったと思う。雨を降らせないで欲しいという願いは聞き届けられなかった訳だが、演奏する僕の心はすごく落ち着いていた。

今日の聖句をもう一度読んでみよう。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は、見つけ、門をたたく者には開かれる。」

あのライブで、僕に与えられた結果は、もちろん、僕が具体的に望んでいたこととは違った。けれど、やっぱりこの聖句は真実を語っていると思う。一番の問題は、天気に対する不安に負けてしまいそうな自分の心だった。全力で取り組んだその先で、自分の力ではどうにもならない事に対する、不安だった。その不安を抱える僕に対して、この聖句は「ノックしてこい、答えは見つかる、道は開かれる」と語る。状況だけを見れば、「望みは聞き届けられず、集客も出来なかった。失敗だ。」となるのかもしれないが、僕には十分な答えが与えられ、門は開かれたという感覚があった。

僕は、僕の人生を概ね応援してくれている神様の存在を信じている。そして、その神様は、全ての人の人生、あなたの人生を応援してくれていると思うのだ。
例えば、ものすごく望んでいることがあるとする。どうしても、そうなって欲しい!と望んでいる事柄だ。ところが、うまく行かないとしよう。そんな時、僕は、「おや、どうもおかしい。応援してくれている神様からの援護がないということは、これは、どこか、まずいのかな?ダメな部分があるのかな?」と考えてしまう。 正しいことなら、間違っていないなら、だいたいはうまく行くものだ、とどこかで思っている訳だ。ただ何もしないで、希望が叶うのを賭け事のように待っているとか、努力は関係ないとか、そういう話ではもちろんない。一生懸命頑張って、もうこれ以上出来ないというところまできて、つまり人事を尽くした後の感覚だ。天命は私たちの味方だという感覚だ。
わたしたちは、人生で沢山の選択をする。友達を選び、恋をして、仕事を選び、結婚をする。多くの事を望み、思い悩む。それぞれの選択に具体的な望みがある。どんなに求めても、祈っても、その望みは、確かに必ずしも叶わない。でも、本当に真剣に生きて行けば、必ず、真理の側からのアプローチがあると僕は思う。叩けば開かれる門に出会う事ができると思うのだ。あのライブの日、天気はたとえ雨でも心は晴れ晴れとしていたように、勝ち取りたいと望んだ結果ではなく、この世が通常判断する勝利ではないかもしれないけれど、自分の心には一点の曇りもない勝利が与えられるということが起こると思うのだ。
今回の聖句は、「全力で求め、探し、門を叩けば、その繰り返しの中で、必ず愛のある結果が与えられる。」と約束をしている。僕はその約束を信じる。それは時には厳しい結果だけれど、その厳しさには意味があり、必ずその先に道は用意されていると思うのだ。力強い私たちへの応援の聖句だと思う。歩むべき道があるという希望。その希望を胸に人生と向き合えることを幸せに思う。