命に通じる門 マタイによる福音書 7章13節~14節(聖書の話14)

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道は広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

(マタイによる福音書 7章13節~14節)

「人生は意外とシンプルなものかもしれない」と思う事がある。今回の聖句を選んだ後、イギリスのバニヤンという人が書いた天路歴程という小説のことを思い出した。冒頭に、人生に絶望し、自分の歩む道を見失った主人公が、歩むべき道について伝道者に教えてもらうシーンがある。少し読んでみよう。

「その男は…ひどく心配そうに、伝道者を見つめて言った、私はどこへ逃れるべきでしょうか。すると伝道者はいかにも広々とした野原を指で示しながら言うのに、向こうのくぐり門が見えますか。男は言った、いいえ。それから相手が言った、向こうの輝く光が見えますか。『見えるように思います』と彼は言った。そこで伝道者は言った、あの光から目を離さないで、まっすぐにそこへ登って行きなさい。そうすればその門が見えるでしょう。そこで門を叩けば、どうすればよいか聞けるでしょう。」

非常にシンプルだ。「見えるように思う輝く光」に向かって、ただまっすぐ行けばいいと言うのだ。ところが、主人公が歩み始め、物語が進むと、実に色々な出来事や誘惑が起こる。広々とした道がカーブして行く場所では、まっすぐの道は非常に狭く、自分で判断しようとすると曲がりたくなったりする。また、鎖で繋がれた獅子が両脇にいる道があり、真ん中を歩けば、絶対に大丈夫なのだが、「危ない」と勝手に自分で判断してしまい、進めないといった具合だ。どの場合も、ただまっすぐ歩くことだけが正解だ。
私たちの日常にも、これと似た出来事を見いだすことがある。何かに取り組んでいる時、「きっとこうするのがいいのだろうな」「これが正しいな」と感じることがある。それは、「見えるように思う輝く光」だ。ところが、いろいろな困難や横着や不誠実が邪魔をして、思うように進まないということが起こるのだ。「こっちの方が楽やで」とか、「こっちの方が儲かるで」とか。心というのは、随分いろいろなことを囁いてくる。輝く光に向かって行けばいいと教えられたはずなのに、心に決めたはずなのに、自分に都合のいい言い訳を思いついて、光から目をそらし、道をそれてしまうのだ。
僕自身、いったんは派手に成功しても、その後には虚しさだけが残り、うまくいかないという結果に終わる沢山の出来事を経験してきた。思い返してみると「確かに、あの時、違和感に、あるいは不正に『目をつむった』」と気付かされる。そういう経験を思い出せる人は多いだろう。思い出せるということは、見えていた光から目をそらした瞬間、目を閉じてしまった瞬間を実は心がとらえているという事だろう。
「輝く光」を見ているのは心だ。そして、本当の意味で「輝く光」を見出し、それを見つめる心、それは良心と呼ばれるものだと思う。良心が濁ると心の目は光をつかまえる事ができなくなる。そして、信仰とは、その良心を鍛え、澄んだ目を維持することを助けてくれるものなのだと思う。
僕は牧師ではないので、キリスト教だけが、良心を鍛えてくれる宗教だ、などと言うつもりはない。ただ、少なくともイエス様が私たちに伝えた言葉の中には私たちの良心を奮い立たせ、「輝く光」をとらえる力を与えてくれるものが沢山あるとも思うのだ。今日の聖句もその一つと言えるだろう。

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道は広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

滅びに通じる門と命に通じる門という二つの門。みなさんも人生が進む中で、何回もそのどちらの門を選ぶかという選択の場に立たされることだろう。どんな男性と付き合うのか、どんな仕事を選ぶのか。狭く、苦労が見えていても、この道を進みたいと感じる時、この聖句は勇気を与えてくれることだろう。
ただ、「輝く光」が見えていること、見えるように思えること、が大前提としてある。そのために必要なことは、静かに自分の心に聞きに行くことであり、祈りによって神の言葉に耳を傾けることだと思うのだ。
「神様、私の進むべき道を教えて下さい」と祈る時、あるいは、そういう祈りを持って聖書と向き合うときに、そこに示される道が見えてくる。それは、冒頭の物語で、伝道者が「広々とした野原を指でしめした」ように、私たちに示される。そして、私たちはその先に「輝く光が見えるように思う」という経験をするのだと思う。
処世術として、いつも狭い門を選んでいれば成功するというようなものではないだろう。輝く光に向かってまっすぐに歩もうとするときに、時には狭い門を選ばないといけない時がやってくるということだ。

命に通じる門。それは、苦難と困難を伴いながらも、豊かで愛のある人生を与えてくれる道へ通じる門だと私は思う。目を閉じる事なく、光に向ってただまっすぐに歩く。シンプルなルールだけれど難しいことだと思う。光を見つける心の目を鍛える事。襲ってくる疑いをぬぐい去って、信じてまっすぐ歩む事。失敗してはやり直しながら、そういう人生をみなさんが歩まれることを、また僕自身も歩んで行けること願う。