「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」
この聖句はこの世の終わりの時についての記述だ。天国へ招かれる人々はどのような人かを例えたこの聖句。この世での私たちの行いの中で、神様が高く評価し、喜んで下さるのはどのようなことなのかが、この聖句には示されている。それは、何か大きな仕事をしたり、大成功をおさめたりすることではなく、小さい者への小さな親切だったりする。
その行い自体は難しいことではない。僕らの手の中にある日常的な事柄だ。毎日の中にある。でも、それを大切にし、実行する事は本当は難しいことなのだとも思う。
日々の中で出会う人をしっかりと愛する難しさ。私たちは、遠く離れた所で起こる大惨事に関心を示し、自分の出来る事をしようとしたり、手を差し伸べようとする。その一方で、近くにある悲しみや、隣にいる友の心の傷に気がつくことが出来ないこともしばしばだ。手を差し伸べる事に躊躇してしまっている自分を感じる事さえある。
しかし、それこそが、私たちが生きて行く上で神に要求されていることなのだ。
少し前に「小さな奇跡」という曲を書いた。今回はその歌詞を紹介しようと思う。今日の聖句が語る内容と共に、詞を感じてもらえると嬉しい。
「小さな奇跡」
世界を救うために 嵐を遠ざけ波を止める
そんな力 僕らにはない
ただ向き合って目の前のその人を愛する勇気だって
小さなそれは奇跡
やがて世界さえ救うような奇跡
未来を変えるために 星を降らせ太陽を隠す
そんな力 僕らにはない
ただ向き合って目の前のその人を愛する勇気だって
小さなそれは奇跡
やがて未来さえ変えるような奇跡
心が揺れて 瞳が動いて 涙流れて繋がって
ただ向き合って目の前のその人を愛する勇気だって
小さなそれは奇跡
やがて世界さえ救うような奇跡
未来さえ変えるような奇跡